欧米における日本美術・工芸研究史
学芸学部 日本語日本文学科 南 明日香
研究の背景
19世紀後半から日本では、欧米の美術史学を範として自国の美術と工芸の歴史を編纂してきた。一方欧米ではジャポニスムの潮流の中で、絵画・工芸作品が多数制作された。従来日本近代美術研究では日本側の日本語による文献資料を用い、ジャポニスム研究では欧米での資料を基に国別に調査研究が行われていた。扱う時代はジャポニスム全盛期の19世紀後半と、日本が対外的文化政策を推し進めた1930年代が中心であった。とはいえ欧米で注目されたのは浮世絵や輸出向けの工芸品ばかりではなく、さらに本格的な日本美術史を志した人々のネットワークが、国境を越えてできあがっていたことは看過されてきた。こうした現象は第一次世界大戦とその後の混乱によって、歴史の狭間に埋もれてしまっていたからである。
研究概要
本研究では日本の美術品工芸品について欧米で国境を越えて情報交換が行われてきたこと、日本でも欧米向けに英語文献や現地での講演、展示会などで情報を発信していた事実に注目した。時期は1880年代からの熱狂的なジャポニスム期を経て、本格的な日本研究(ジャポノロジー)が行われるようになった1900年代から第一次世界大戦頃までを中心に扱った。
ジャポニスム期では浮世絵が愛されたのに引き替え、室町時代以前のやまと絵や水墨画は当初はむしろ蔑視されていた。西洋美術の規範からは、遠近法も明暗法も理解できていない未熟な作品と見られたのである。古代の仏教美術は存在すら知られておらず、城郭を飾った障壁画も純粋な絵画作品とは見なされず、応用美術という一段階下の格づけにあった。工芸品の中では刀装具の鐔は、明治の末には一級品はほぼ海外での所有になったと嘆かれたほど人気があった。日本側からは海外でのまなざしを受け止めて、西洋向けに博覧会や欧米語での出版物を通してアピールに尽力した。本研究ではこうした事実を確認したうえで、欧米でのコレクションの在り方、日本美術・工芸展、日本美術に関する雑誌と著作、講演会、研究者のグループと、日本の國華社と審美書院の出版物と活動、刀剣会での反応などを調べあげた。その際にできるだけ書簡などの一次資料を発掘【※図1】して、背景を明らかにした。
ことに注目したG・ド・トレッサン(仏)、O・ミュンスターベルク(独)、R・ペトリュッチ(白・仏)、H・L・ジョリ(英・仏)は、日本では忘れられた存在であったが欧米では現在でも著書の再版のある日本美術・工芸研究家である。彼らは祖国での東アジア美術研究をふまえつつ、美術雑誌『國華』の英文版【※図2】や、最初の美術全集であり日英二言語解説の『真美大観』で発せられた情報を受け止めながら、そこからさらに西洋美術のカノンでは説明しきれない造形の特色に加えて、背後にある精神性までを説明しようとした。具体的には古代仏教美術と中央アジア莫高窟調査結果との関係、中古の絵巻物の西欧美術にはない装飾性への開眼、中世の水墨画と南宋を中心とした中国絵画との関係とその精神性の強調、刀装具の歴史編纂の方法論と鑑定の問題などがあり【※図3】、その成果が同時代の日本でも東京帝大の瀧精一などにより高く評価され、参照されたことを明らかにした。
かくして日本美術史という<日本>らしさを具体的にイメージさせるシステムが、所属する国や言語の違いを越えてのインタラクティヴな情報提供と、理解の上にできあがったことを立証した。
ジャポニスム期では浮世絵が愛されたのに引き替え、室町時代以前のやまと絵や水墨画は当初はむしろ蔑視されていた。西洋美術の規範からは、遠近法も明暗法も理解できていない未熟な作品と見られたのである。古代の仏教美術は存在すら知られておらず、城郭を飾った障壁画も純粋な絵画作品とは見なされず、応用美術という一段階下の格づけにあった。工芸品の中では刀装具の鐔は、明治の末には一級品はほぼ海外での所有になったと嘆かれたほど人気があった。日本側からは海外でのまなざしを受け止めて、西洋向けに博覧会や欧米語での出版物を通してアピールに尽力した。本研究ではこうした事実を確認したうえで、欧米でのコレクションの在り方、日本美術・工芸展、日本美術に関する雑誌と著作、講演会、研究者のグループと、日本の國華社と審美書院の出版物と活動、刀剣会での反応などを調べあげた。その際にできるだけ書簡などの一次資料を発掘【※図1】して、背景を明らかにした。
ことに注目したG・ド・トレッサン(仏)、O・ミュンスターベルク(独)、R・ペトリュッチ(白・仏)、H・L・ジョリ(英・仏)は、日本では忘れられた存在であったが欧米では現在でも著書の再版のある日本美術・工芸研究家である。彼らは祖国での東アジア美術研究をふまえつつ、美術雑誌『國華』の英文版【※図2】や、最初の美術全集であり日英二言語解説の『真美大観』で発せられた情報を受け止めながら、そこからさらに西洋美術のカノンでは説明しきれない造形の特色に加えて、背後にある精神性までを説明しようとした。具体的には古代仏教美術と中央アジア莫高窟調査結果との関係、中古の絵巻物の西欧美術にはない装飾性への開眼、中世の水墨画と南宋を中心とした中国絵画との関係とその精神性の強調、刀装具の歴史編纂の方法論と鑑定の問題などがあり【※図3】、その成果が同時代の日本でも東京帝大の瀧精一などにより高く評価され、参照されたことを明らかにした。
かくして日本美術史という<日本>らしさを具体的にイメージさせるシステムが、所属する国や言語の違いを越えてのインタラクティヴな情報提供と、理解の上にできあがったことを立証した。
研究成果
今日、欧米の雑誌はインターネットで検索すれば読むことができるものが多い。が、本研究ではそうした雑誌記事や展覧会目録、講演記録が発表されるまでの執筆者(=研究家)や編集者の営為を、研究家の遺品などから書簡、メモ、資料の写真などを調査し、手書きの文献は翻刻・翻訳して明らかにしたことに大きな意義が認められた。背景になっている研究家たちの情報交換の様子や、資料の入手方法とその発表方法など、いわば形となる前の現場での理解と実践のありようを知ることができたのである。さらに長らく等閑視されてきた刀装具についても、実は欧米では陶磁器と共に日本の代表的な工芸品として蒐集され研究も進み、それが大正期の日本人に影響を与えてたことがわかった。成果は論文(邦語、仏語)とそれらをもとに大幅加筆した著書『国境を越えた日本美術史 ジャポニスムからジャポノロジーへの交流誌1880-1920』にまとめた。
展望と社会的意義
本研究では日本美術品・工芸品はどのように評価されたのかという問題はもとより、どのような手法で研究されたのか、情報の入手の仕方発表の仕方という、研究の現場を押さえた。その結果かかわった人々のさまざまなドラマ、ことに第一次世界大戦によって一旦盛り上がった研究が強制終了されようとしている時期の、思いまで伝えることができた。時に論争も闘わせ編集者や学芸員と交渉しながら、目に見える表現の理解に止まらずその背景、精神性も含めて異文化を理解しようとした姿勢と残された言葉からは、百年後の私たちにも訴えかけるものが確かに散見される。
現在海外に大量に流出し研究がすすめられた刀装具について、大英博物館、フランス国立装飾芸術美術館などで学芸員と協力して所蔵品の整理と調査を行っている。またフランスの浮世絵研究の集大成でもある連続展覧会の図録6冊について、復刻作業を進めている。
現在海外に大量に流出し研究がすすめられた刀装具について、大英博物館、フランス国立装飾芸術美術館などで学芸員と協力して所蔵品の整理と調査を行っている。またフランスの浮世絵研究の集大成でもある連続展覧会の図録6冊について、復刻作業を進めている。
※ 図1
※ 図2
※ 図3
専門用語の解説
ジャポニスム:狭義では日本の諸芸術の影響を受けて制作された造形作品をさし、広義では日本の文化に触発されたさまざまな営為もさす。なお2018年にフランスでJaponisme2018と銘打った一連の行事が開催。
参考文献
- 著書『国境を越えた日本美術史 ジャポニスムからジャポノロジーへの交流誌1880-1920』(藤原書店、2015年、総398頁、2015年第36回ジャポニスム学会賞受賞)