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エッセイ Vol.5 ピーター ・J・ マクミラン


学生時代の思い出

2024年7月1日

学生の頃はお金が無く、町の中でも貧困地区と言われる場所に住んでいました。そこには様々な国の貧しい学生たちがいました。例えばアルゼンチン人スプリンターで金メダリストのベルキス・ファヴァがいましたし、オックスフォード大出身のサイモン、フランス人のピエール、フランソワ、マーク、他にも貧しいアメリカ人学生もいました。そこはとても居心地がよいコミュニティで、私たちはすぐに友達になり、毎日パーティなどをしてとても楽しく過ごしました。貧しいから卑屈と感じることはなく、逆にとても心豊かに過ごしていたのです。

私が日本の和歌に心を寄せることになった理由は、ここにあるのかもしれません。日本の歌人たちは現代の私たちのようにモノには恵まれていなかったけれど、心は大変豊かだったからです。例えば、百人一首の1番目の天智天皇の歌も、貧しくても心が豊かである例として挙げられます。

秋の田のかりほのいほのとまをあらみわが衣手(ころもで)は露にぬれつつ
<現代語訳>秋の田のほとりの庵の屋根は荒く粗末なものだから、露が隙間から落ちてくるが、私の袖を濡らすのは露だけではない。

平安時代の人々は心が豊かで、自然の景色に目を向け、「憂い」という感情さえも歌に詠みました。しかし、現代の私たちは、物質的にはより豊かになっている反面、精神的には貧しくなっているように感じます。私たちの豊かさの基準が精神的なものから物質的なものへ移っていっているのです。

私も、貧しかったけれども心は本当に豊かであった若かりし日のことを、時々思い出します。

職位:客員教授

■所属学会・委員会
Pen America 日本ペンクラブ会員
一般財団日本文化交流基金(Japan Cultural Institute)代表理事
和歌文学会 会員



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