相模女子大学中学部

相模女子大学中学部・高等部
コラム 母から娘へ「母校リレー」

勤続42年の沖先生を囲んで、相模女子大学の魅力を本音で語る!

いつ学校を訪れても顔見知りの先生がいる。在籍した当時の話ができる。それも私学に通う魅力の一つです。本校の沖先生(社会科)も、相模女子大学中学部で教鞭を執ること42年。2016年春に定年退職を迎えるまで、その役割を果たしてきました。「沖先生の顔を見るだけでホッとする」と口を揃える卒業生の吉川さん、相原さん、児玉さんは、現在、保護者として本校にかかわっています。相模女子大学の今と昔を知る3組の親子と沖先生に、相模女子大学をありのままに語ってもらいました。

プロフィール

吉川さん親子
お母さんは中学部から短大まで在籍。中学時代はバスケットボール部で活動。沖先生とは授業でかかわった。娘さんは2014年4月に入学。家庭科部に所属。1年次は、沖先生が担任するクラスに在籍した。
相原さん親子
お母さんは小学部から高等部まで在籍。中学時代は文芸部で活動。沖先生とは授業でかかわった。娘さんは小学部から本校で過ごし、中学部には2015年4月に入学。アーチェリー部に所属している。児玉さんは1年次クラスメイト。
児玉さん親子
お母さんは小学部から大学まで在籍。中学時代はテニス部で活動。沖先生とは授業やスキー教室でかかわった。中学入学を機に栃木から転居。娘さんは2015年4月に入学。ダンス部に所属している。相原さんは1年次クラスメイト。
沖先生
大学を卒業後、1年間、男子校で非常勤講師を務め、翌年から2016年3月に定年退職を迎えるまで、42年間にわたり本校で教鞭を執り、担任したクラスの生徒だけでなく、社会科の授業や長く引率にかかわったスキー教室などを通して、多くの生徒から親しまれた。

面倒見がいいアットホームな校風は変わらず。沖先生は癒やしを与えてくれる存在だった。

― まずは沖先生との思い出から聞かせてください。

相原さん(母)
すごくやさしいし、休み時間に気軽におしゃべりができる先生でしたよね。
吉川さん(母)
授業中でも、私たちが言葉を投げかけると、すぐに乗ってくださって、やりとりが楽しかったです。
沖先生
社会科があまり好きではない生徒が多いんです。だから多少乗せてから本題に入る、ということは意識していましたね。好きになってくれれば大変ありがたいけれども、なかなかそこまではいかないので、「この1年で、大嫌いを小嫌いにするぞ」と宣言して授業に臨んでいました。
吉川さん(母)
当時は厳しい先生が多かったので、沖先生は癒やしを与えてくれる存在でした。
児玉さん(母)
私も運動部だったので、勉強との両立がうまくいかず、他の先生には叱られてばかりでしたが、沖先生には叱られた記憶がありません。
沖先生
叱り方が下手なんだね。42年も教員をやっていれば、時々「なめんじゃねー」って思うこともあったけど、どうもうまく叱れない。
一同
(爆笑)
児玉さん(母)
沖先生はスキー教室(任意参加。当時は冬休み・春休みに実施)の引率をされていましたよね。私は毎回参加していて、ほとんどが沖先生のクラスでした。そういう出会いもあるので、受け持ちの学年や教科の先生でなくても、知っているのが当たり前だったように思います。
吉川さん(母)
ほどよい人数でしたよね(3学年×3クラス)。先生も、中学生の顔と名前は、ほぼ一致していたんじゃないですか。
沖先生
そうだね。今のように担任、副担任という仕組みもなかったから、担任が休むと「空いている先生、行って〜」という感じで、どこへでも行きました。だから職員室で「○○ちゃんがこんなことをしたんですよ」と誰かが言えば、「ああ、あの子ね」というように、顔を思い浮かべながら話ができました。
相原さん(母)
私は文芸部でしたけど、根本先生の科学部と一緒に京都に行きました。
沖先生
文芸部の森先生と科学部の根本先生は、仲がよかったからね。よく一緒に活動してました。
相原さん(母)
その時にくずきりを食べさせてもらいました。

吉川さん(母)
そんなにいい部活があったんですか。
相原さん(母)
楽しかったですよ。
沖先生
当時の夏休みは長かったでしょう。「生徒が有意義に過ごす場をつくろう」と、教員が主体的に動いていました。僕は山へ連れて行くことが多かったです。1人で生徒を連れていくと気苦労があるので、「一緒にやらない?」と声をかけ合って、2つのクラブが一緒に活動することも珍しくなかったです。
児玉さん(母)
アットホームな雰囲気でしたよね。
吉川さん(母)
よく叱られましたけど、先生との距離が近く、家族のようでした。
沖先生
そういうところは、昔も今も同じだね。大学がある一貫校で、受験に翻弄されず、のびのびと学校生活を送らせたいと考えるご家庭が、本校を1本で受けてくれたから。

吉川さん(母)
先生に叱られて帰っても、親は「よくぞ、叱ってくれた」と、先生に感謝していたくらい。サガジョ(相模女子大学の愛称)に預けておけば安心、と思っていたと思います。
沖先生
朝のジョギングはやった? 今はやってないけど、当時は3学年が校庭に集まって、大学のほうまで何周か走ったよね。
相原さん(母)
やりましたよ。持久走は小学部でおしまいだと思っていたら、中学部でも…。なぜ、走るのかと思いながら走ってました。
吉川さん(母)
毎朝、ジャージに着替えて走りましたね。おかげでやせました(笑)。
沖先生
生徒には「気合いが入ってない。もう一周」なんて言ってたけど、僕は面倒くさかったんだよね。
一同
(爆笑)
沖先生
もちろん僕みたいな先生ばかりじゃないから。グラフや表などを作って、「東海道でいうと小田原まできたね」なんて言いながら、意欲を引き出しているクラスもありました。音楽の先生は、「ジョギングを始めたら、1時間目からちゃんと声が出るようになった」と言ってました。

児玉さん(母)
音楽は、小松田先生でしたよね。校歌の練習に熱心で、ピアノの伴奏がイントロから見事でした。
相原さん(母)
中1の最初の音楽のテストでは、校歌の歌詞を穴埋めする問題が出ましたよね。
沖先生
先生が替わったけど、今も出るの?
吉川さん(娘)
出ましたよ。
児玉さん(母)
娘ができないと、「なんでできないの?」って、つい。私は夢に出てくるくらいやったから(笑)。
吉川さん(母)
忘れないものですね。娘の入学式では、最後まで歌えました。
沖先生
校歌は身に染みますよね。余談ですが、生徒が僕の携帯電話の着信メロディーに中学部の校歌を入れたんです。知ってのとおり、本校には「さねさし〜」から始まる学園歌と、「紫匂う〜」から始まる校歌があって、今は、中高が「紫匂う〜」を校歌としていますが、皆さんが在校していた頃は、「さねさし〜」が中学部と大学の校歌でしたよね。その「さねさし〜」が、電車の中で鳴ってしまったんです。すると、居合わせた女性から「失礼ですが、相模女子大の方ですか」と話しかけられました。その方は大学の卒業生で、僕とは直接かかわっていないのですが、校歌を耳にして「なつかしい」とおっしゃっていました。

相模女子大学中学部校歌

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娘を母校に入学させたいと思った理由は、「居心地のよさ」と「安全・安心」

― 娘さんを母校に入学させた理由を教えてください。

吉川さん(母)
うちは長男が中学受験をしたので、当然、下の娘も、と考えた時に、相模女子大学しか考えられませんでした。自分の母校で、学校のことをよくわかっていましたし、家から近いので、サガジョ1本の受験でした。
吉川さん(娘)
私もお母さんの学校に行きたいと思っていました。話を聞くと、女子校は気楽で楽しそうだなと思ったからです。学校へ行くと、とてもきれいだったので、入学したいという気持ちが強くなりました。

― 相模女子大しか考えられなかったのはなぜですか。

吉川さん(母)
中学部の3年間が、私の人生を変えたと言ってもいいくらい有意義だったからです。私は小学校までは内向的で、悪口を言われるとすぐに泣いてしまうような子でした。見かねて、親がサガジョを勧めてくれたのですが、男子の目を気にせずにのびのびと過ごせる環境、親身にかかわってくださる先生、厳しい先輩……。すべてが私の力になっているので、内向的な娘も、サガジョに入れば変われるのではないかと思いました。
沖先生
娘さんは中1の時、私のクラスだったけど、内向的だなんて思わなかったなぁ。最初は緊張していたけど、だんだんずうずうしいやっちゃなと思ったよ(笑)。

吉川さん
(母・娘)
(爆笑)ホントですか!?
吉川さん(娘)
たしかに、最初は友達できるのかなぁとか。これからどうなっていくのかなぁとか。不安ばかりで緊張してたんですけど。1人の子に話かけると、まわりの子もわいわい加わって、想像していた以上に会話が弾んだので、安心しました。行事にも一生懸命になれるので、楽しいです。
吉川さん(母)
女子校の雰囲気が合っていたんですね。娘も、私のような人生を歩むのかなぁと思いながら見守っています。
相原さん(母)
私も、女の子が生まれたら、自分と同じように、小学校からサガジョに入れようと思っていました。先ほども話に出ましたが、先生との距離が近いので安心して預けられる学校だと思っていたからです。
沖先生
小学部は男子もいるよね。中学部は女子だけだけど寂しくない?
相原さん(娘)
寂しくないです。女子だけのほうが、気楽で楽しいですよ。

― 小学部出身生と中学入学生は、すぐに仲良くなれましたか。

相原さん(娘)
最初は、小学部からの子で固まって、外から入ってきた子とは話さなかったんですけど、宿泊オリエンテーションで話すきっかけを作ってもらえるので、すぐに仲良くなりました。
沖先生
そうだね。入学後、2日目くらいにオリエンテーションがあるから、行きのバスでは緊張しているけど、その夜あたりからみんな、楽しくなってくるんじゃないのかな。
相原さん(娘)
そうですね。その後、3学年が混ざって先輩と話す新入生歓迎会もあるので、あっという間に馴染みました。
児玉さん(娘)
私も、友達ができるかどうか。最初はすごく不安でした。
沖先生
児玉さんは小学校時代、栃木に住んでいたんだよね。

児玉さん(娘)
はい。
児玉さん(母)
親と同居するために、娘の中学入学を機に、栃木県の宇都宮から引っ越してきました。当初、通学しやすい他校を考えていましたが、「やっぱりママの学校に行こう」と、当日出願しました。
沖先生
入試当日に初めて学校に来て、ドキドキしている時に、偶然出会ったんだよね。
児玉さん(娘)
そうです。
児玉さん(母)
正直に言うと、先生のこと、忘れていたんです。でも、お顔を見た瞬間に名前が浮かんで「沖先生!」と叫んでいました。
沖先生
僕もね、時々声をかけられて「誰だっけ」という時もあるんだけど、僕にしては覚えてたね(笑)。
児玉さん(母)
願書を持ってうろうろしていた時だったので、神様が降りてきたような、救われた気持ちになりました。
吉川さん(母)
その気持ち、よくわかります。
沖先生
学校は気に入った?
児玉さん(娘)
はい。宇都宮でも、幼稚園から大学まである学校に通っていたので、雰囲気が似ていましたし、(沖先生と出会ったことで)少し緊張がほぐれて、受験しようという前向きな気持ちになりました。

― 児玉さんは、相模女子大学のどんなこところに魅力を感じていますか。

児玉さん(母)
やっぱり安心感と居心地のよさですよね。門には守衛さんがいます。キャンパスには先生がいて、私は小学部から通いましたが、守られているという安心感がありました。キャンパスを行き交うお姉さんたちを見て、中学部、高等部の自分を想像していました。娘にも、そういうゆとりのある学校生活を送ってほしかったので、入学できて本当によかったです。

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女子ばかりだから素の自分を出せる。行事に本気になれる。だから楽しい!

― 中学部の生活の様子を教えてください。

相原さん(娘)
みんな、元気です。授業でもHRでも、積極的に手を挙げたり、発言したりする子が多いので盛り上がります。行事では、学園全体で行う相生祭(文化祭)が好きです。
吉川さん(娘)
グループワークでは、自分の意見を遠慮なく出し合います。体育祭や合唱コンクールなど、競い合う行事にも本気になれるから楽しいです。
沖先生
だから、ぶつかり合うこともあるよね。合唱コンクールの練習で、指揮者に「アルト、声低い」なんて言われると、ムッとしたりするでしょ。
児玉さん(娘)
(うなずく)「出してるのにね」って思いますね。
沖先生
終われば、指揮者も大変だったんだなと思えるけど、やってる時は、相手の言うことを素直に聞けない時もある。
児玉さん(娘)
(笑)そうですね。合唱コンクールでは、最終的にはクラスがまとまって、賞を獲れたのでよかったです。
沖先生
そうだね。成果が出れば、行きがかりのいざこざは吹っ飛んじゃう。本番に向けて、みんなで頑張ろうってなっていった?
相原さん(娘)
はい。すごかったよね。
児玉さん(娘)
うん。(隣の教室から歌声が聞こえてきて)「隣、うまいから、まずいね」ってなって。
相原さん(娘)
練習の予定はなかったんですけど、「私たちも練習しよう」ってなって、朝練をしました。他のクラスに負けたくないっていう気持ちが力になりました。

― 勉強はどうでしょう。大変ですか。

吉川さん(娘)
復習と予習をしていれば、大丈夫だと思います。
児玉さん(娘)
わからないところを、そのままにしておくと、積み重なって、どんどんわからなくなるので、その日のうちに先生に聞きに行ったり、友達に「ここ、どうやってやるの?」って聞いたり。聞けなかった時は、参考書や問題集を使って復習しています。
相原さん(娘)
私は、定期試験の後に学年順位を見るのが怖いんです。何回経験しても慣れません。試験前に夜中まで勉強してテストを受けても、思うような結果が出ないこともあるじゃないですか。成績次第では補習もあるので、毎回、ドキドキしてしまいます。
沖先生
それは困ったね。
相原さん(娘)
勉強すれば、結果が出る科目もあるので、それを励みに頑張ります。

― 先生との関係は良好ですか。

吉川さん(娘)
はい。話しやすい先生ばかりです。先生のほうからも話しかけてくれるので、相談などもしやすいです。

― 沖先生は、お母さんから聞いているとおりの先生でしたか。

吉川さん(娘)
はい。私たちの授業でも、話しかけると乗ってくれました。
相原さん(娘)
最初の部活紹介で、2年生の先輩が「みんなのアイドル、沖先生です」って言うのを聞いて、「おもしろいな」「そんなに先生と仲いいのかな」って思いました。
沖先生
それで、卓球部に入ろうとは思わなかったの?
相原さん(娘)
はい。アーチェリー部に入ってしまいました(笑)。
沖先生
児玉さんは?
児玉さん(娘)
私はダンス部です。部活紹介の時に堂々と踊ってて、かっこいいなと思ったので、友達と一緒に入部しました。ダンスは初心者ですけど、楽しく踊っています。
吉川さん(母)
先輩は怖くない?
児玉さん(娘)
最初は怖かったです。でも、だんだんと交流を深めていくうちに「こういうところはやさしいな」とか。「部活のことをよく考えてくれてるな」とか。いいところが見えてきたので、話せるようになりました。
相原さん(娘)
アーチェリー部は、中学・高校が一緒に活動しているからか、高校の先輩とは話すんですけど、中学の先輩と話すことがあまりなかったです。中学卒業を前に、色紙にメッセージを書くことになった時、「何を書けばいいんだろう」と悩みました。

沖先生
学年ごとにまとまってしまい、先輩や後輩とコミュニケーションが取れていないという悩みは、どこのクラブにもあるんだね。卓球部でも、同学年で組みたがるから、「それでは変化がないんじゃない?」って言っていました。
相原さん(娘)
私も、もっと話しておけばよかったなって思います。「○○先輩」って話しかけるような交流がないのは、寂しいと思いました。
沖先生
吉川さんはどう? 家庭科部はコミュニケーションを取ってる?
吉川さん(娘)
調理や手芸は、手を動かしながらおしゃべりできるので、あまり意識したことがなかったです。でも、言われてみれば、私たちも同学年でグループを組んでしまい、自分から後輩に話しかけることはなかったです。話しかけることが、なんとなく恥ずかしかったので、中3になったら縦割でグループを作って話しかけてみます。

― 進級後の目標ができましたね。児玉さん、相原さんも、進級後にしたいことはありますか。

児玉さん(娘)
私は1年生の時に、先輩にやさしくしてもらったので、私も後輩に対してコミュニケーションを取って、目標としてもらえる先輩になりたいです。
相原さん(娘)
私も2年生になって、初めて後輩ができるので、「あの先輩に憧れる」と言ってもらえるような存在になりたいです。2年生は間の学年なので、先輩とも、後輩ともコミュニケーションを取って、みんなが話せる部活になるように頑張ります。

沖先生
最後に力強い言葉を聞けてよかった。それぞれに目標を達成できるように頑張ってください。

沖先生からのメッセージ

退職を前に、このような機会を設けてもらい、実は、何を言われるのかと心配していました。学校には、いいところもあれば、至らないところもあります。在学中は、不満を感じたこともあったと思いますが、時を経て、「まんざらでもなかった」と思ってくれていた。大事な娘さんの進学先として本校を選択してくれた。その思いに触れることができて嬉しかったです。
学校は、時代の変化に対応していかなければなりません。本校も、私が勤め始めた頃とは大きく様変わりし、学年が足並みを揃えて、きちんとした教育を行うようになりましたが、卒業生が感じてくれているあたたかい校風や、生徒と教員との距離感は変わることなく、「ママが卒業した学校よ」と胸を張れる学校であり続けることが大事だと思います。親御さんに助けられ、生徒に助けられて42年。無事に卒業を迎えることができて感謝しています。

学校ブログ『沖先生の卒業式』

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